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プロレスそして三沢という人

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2c88e844-539b-498e-bc96-1b9058ed29fc[1].jpg三沢光晴というプロレスラーがプロレスに試合中の技が原因でなくなりました。私と同世代の男性方であればプロレスファンでなくてもその顔くらいは知っているんじゃないかと思います。

私はK-1ができる前からK-1の前の団体(正道会館)の試合をみにいくような格闘技好きでした。ですから格闘技の話をするとちょっとマニアックな話になってくるので、すいません。そもそもプロレスというスポーツはすごく微妙は位置づけにあります。スポーツであり、格闘技であり、ショーであり、エンターテイメントであり・・・。

熱中していた中学のころ、テレビで視聴率がとれる格闘技はプロレスか、ボクシング人気ボクサーの世界戦くらいで、そのほかの格闘技は興行としても成立しにくい時代でした。今でこそ数えきれないほどの団体がありますがそのころは、プロレスの団体もジャイアント馬場ひきいる全日本プロレス、アントニオ猪木ひきいる新日本プロレスくらいしかありませんでした。2つの団体は仲が悪くお互いの選手同士が試合をするなどありえない時代。

ファンも新日本派と全日本派にわかれ、誰が一番強いか?などをあつく語っていました。ちなみに私の友人で今居酒屋をしているRちゃんは、進路調査の紙に 新日本プロレスに入門する!とまじめにかいていました。

最も人気が高かったレスラーが初代タイガーマスクでクラスのほとんどの男子が大好き。ジャッキーチェンやスタローン、シュワちゃんブームもかさなりアクション黄金時代でした。

まだテレビで毎週プロレスが放送され(宮崎では深夜番組でしたが、都会ではゴールデンタイムだった)真剣にみていました。

初代タイガーマスクがやめ、2代目に抜擢されたのが、今回亡くなった 三沢光晴です。彼は馬場派のプロレスでしたから、猪木派の私にとってはスタイルが好きなほうではありませんし、2代目タイガーマスクというのは1代目とくらべ、いまいち、人気も下でした。しかし馬場さんの死後、大勢の選手をつれて新団体をつくりあげてから、それまでタブーだった他流試合が盛んに行われることとなります。

今ではプロレスの人気が下がり、K-1や総合格闘技が格闘技の中心となっていますが、彼の力が格闘技界の流れをかえたというのはまちがいないと思います。

マニアックな話になってしまいましたが、

何がいいたいのか。というと私と同世代の方ならわかると思うのですが、若いとき熱中したり活躍した有名人が、最近亡くなったり(忌野清志郎)、引退したり(桑田 清原 野茂など)廃刊になったり(ロードショー)、自分はまだまだ若いつもりでもいつのまにか、時代が流れていき、常に世代の新陳代謝がおこなわれていっており、そのたびごとになんか切ない思いになってしまうんです。(涙)

今年41歳の私。(笑)バカボンパパと同い年(汗)

 

 

 

 

 

ブログを書きはじめて10年以上経ちました。プライベートな事や歯科治療・地域の話題など、書いた当時は一般的だった内容や表現が今では適切ではないものもございます。過去の記事をご覧になる際は予めご了承ください。