院長のブログ

9日、10日、筑豊地方に行ってきました。

私、母、弟夫妻で・・・・。

 

遊びではなく仕事でもなく・・・。

 

昨年末12月29日、母から職場に電話。職場に直接電話があるときはろくでもないことが多い。

「25日に弘おじちゃんが亡くなったってよ!」

「えーーーっ!」

連絡があったときはすでに葬式や火葬も終わっていました。

 

遺言で葬儀など終わるまで誰にも知らせないで!と書いてあったらしい。

そのため妻であるおばさん、娘(いとこ)、その子(孫)の3人ですべて終えたのだそうです。

 

これだけ聞くと「変わってる」と思うかもしれませんが、

おじさんは気遣いの人でした。自分が亡くなった時に皆が仕事を休んだりすることを望まなかったのです。

交友関係の広さなどから焼香したい人が集まるとすごく大きい規模になったでしょうから・・。

私だって知っていたら患者さんの予約をすべてキャンセルしていたはずです。

 

生前は産婦人科の開業医でした。

開業医が病院を休むことがなかなか難しいことはおじさんが一番知っていました。

しかし私の父が亡くなった時もそうですが、彼は親戚がなくなると仕事をキャンセルに真っ先にかけつけていたのです。本当によくしてくれて、お世話になった大好きなおじさんでした。

おじさんの医院はその地区でもかなり有名な人気のクリニックでした。

 

今では産婦人科でいろいろなサービスが受けられるのは当たり前ですが、30年以上前から出産ご褒美の食事にフランス料理をだしたり・・・・。

いつもホスピタリティー精神たっぷりでした。

「古い雑誌を待合室に置いたらだめ」

「自分たちだけおいしい店に行ってはだめ、次の機会にはスタッフも連れて行ってあげなさい」

なんてことを私が子供のころから言っていました。

 

冠婚葬祭では先頭になってくれていってみれば小坂家の相談役みたいな人物だったんですね。

 

私の結婚式では親族代表として

「お酒の飲みすぎに注意!」と苦言を呈してくれたことを思いだします。

 

すべての行事が終わっていたので、私たちは仏壇の前で手を合わせ「ありがとう」といっただけなんですが・・・。遺言にあったブラームスのBGMとともに。

 

お小遣いをたくさんくれるおじさんでした。

おしゃれな自宅に住んでいるおじさんでした。

私の実家では考えられないようなおしゃれなお店に連れて行ってくれるおじさんでした。

勉強熱心なおじさんでした。

ホント最期の最期まで周囲に気を使っていた紳士的で素晴らしい、医師としても尊敬できる人でした。

安らかに・・・・。合掌

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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