院長のブログ

政治の世界では『あうんの呼吸』というものが常識で、『あうんの呼吸』の場合犯罪としての証拠にはならず不起訴となるらしい。

 

任侠映画では、対立する組の人間を殺したり、犯罪を犯したとき、親分が若い衆に

「別荘にいってくれんか!(刑務所のこと)刑期を終えたら幹部待遇にしてやる」

というような場面が頻繁にでてくる。

いわゆる身代わり。どうもそういう風にみえてしまうのは私だけだろうか?

この『あうんの呼吸』というのは現代風にいうなら『空気を読む』ということ。

空気をよむことというのは実社会においては非常に大切なことであり、それが出来ないと仕事や恋愛、人付き合いがうまくいかなくなってしまう。

「俺のいいたいことわかるよね」と目でうったえただけで、さっすることが出来る人間、それは成功する必須条件かもしれない。

武道には間合いというものがあり、実際に手を組みかわす前から空気や相手の心理を読む勝負ははじまっている。

朝青龍は相撲史にのこる大横綱であり、土俵上では間合いを読み取る名手であった。

しかしながら土俵以外のところで『空気を読むこと』が苦手だった。

かつて曙が横綱だったとき、

「ボクシングやオリンピックのチャンピオンは、普段の生活では普通の人間にもどれる。しかし横綱は1日24時間ずっと横綱でいなければならない」と横綱でいることの大変さを語ったことを思いだす。品格・・・・・私には無理である(笑)

同情の余地はないのかもしれないが、試合相手の耳たぶを噛みちぎったマイクタイソンから比べると寛大な気分にもなる。

数年前、亀田大毅が起こした事件、彼らもボクサーにはめずらしく品格をとわれた。そのとき友人である朝青龍は亀田ファミリーをかばった。彼らも空気の読み方という意味では失敗をした過去がある。

さまざまな世界があるが、この『空気を読む』ということが出来なければ必ずつまずいてしまうようだ。

政治の世界には『あうんの呼吸』つまり『空気を読む』ということは、常識らしいし、それをうまく使いこなした彼はある意味名手なのかもしれない。

しかし『品格』は政治の世界に必須だとはいえないようである。

 

 

 

 

 

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