院長のブログ

朝起きたら、一面の銀世界、とはいきませんが、宮崎で市街地が白くなったのはいったい何年ぶりなんでしょうか?

温暖化といわれて、昨今は冬でもそれほど寒くなりました。私が幼少期は運動場にも霜がおりてて、南国宮崎といえども結構さむかった記憶があります。

私は小学4年~6年まで冬なのに半ズボン、ランニングという、どこの小学校にも1人くらいは居るアホな子でした。(もし今そんな子がいたらごめんなさい笑)。

3クラス100名くらいの学年で私と2人だけランニング小学生だったんですね。本当はあったかい服をきていきたかったんですが、負けたくないという意地みたいなものがあって・・・。

中学で長袖長ズボンになり、大義名分ができたことがどれほどうれしかったか。

いくら宮崎といえども当時はマイナス温度になることも結構ありましたからね。

雪といえば、私、大学を卒業して、はじめての職場が新潟だったんです。福岡に就職希望だったのが、大規模経営のクリニックにはいって、そこの本部が新潟だったからです。「3ヶ月新潟にいってくれ」といわれ結局1年3ヶ月もいました。

宮崎育ちの私にとって新潟というところがどれほどカルチャーギャップの感じるところだったか。

福岡からフェリーで上越にむかったんですが、はじめての地にものすごく心細く感じたことをおぼえています。当時私はセリカのオープンカーにのっていたんですが、ついてすぐ当時のスタッフに

「先生の車、乾電池仕様ですか?」ってきかれたんです。

「おいおい失敬だなあ、いくらなんでも乾電池なんでつかってないよ!」と苦笑。

でも乾電池じゃなくて寒冷地仕様か?という意味だったんですね。宮崎人は寒冷地仕様なんて知らない人多いしそんなものがあるなんて全くしりませんでした。

あとから気がついたんですがあんな車で行く地域じゃなかったんですね。数時間で屋根(ホロ)の上に30センチくらいつもって、屋根がまがってオープンしづらくなったり、ラジオのアンテナが凍ってまがってのびなくなったり。

トランクは寒さで凍って、無理に開けようとしたら、蝶つがいの部分がまがってしまらなくなっちゃいました。

会社が借りてくれてたアパートは暖房器具がストーブだけで、敷き布団を3枚重ねてかけ布団を6枚くらいかけて寝ても寒い寒い。安い綿布団しか買えなかったので、布団が重くて息も苦しくて・・・。

分院が各地にあって毎日シフトで移動してたんですが、遠いところは高速で1時間かかる場所。雪がふるという情報を得たら翌朝はいつもより2時間くらいはやく起きて、カーテンをあける。かなり積もっていたら地獄です。1時間かかる高速を時速30~40キロですすまなければならないんですから。高速の途中、何度も分離帯の雪山につっこんでいる車をみました。

到着したら今度は診療所の駐車場の雪かき1時間。私服はビショビショ。帰りも大雪なら・・・・汗

新潟の方がスーツのすそを長靴にいれて通勤してたり、アスファルト道路がサビた茶色をしてたり(雪をとかす液とお湯が、道路からでてくる)、今考えると同じ日本だったのか?と夢の出来事のように思ってしまいます。

 

こんな話題、雪国の方がみてもあたりまえで何にも面白くないでしょうけど、宮崎人にはきつかったーーー。

 

 

 

 

 

 

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